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 Toshi Toyoda
  #3  ヴェニスビーチで初めてビーチバレーをした
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◆A、Bクイック、フライングレシーブをアメリカに紹介

バレーはアメリカではマイナースポーツでしたが、当時UCLAがい
ちばん強かった頃でした。練習へ行ってみるとコーチは小さな私の
姿を見て、いちばんヘタな選手と組んで端っこの方で対人をやらさ
れました。私は遊びでクルッと回って返したり、ひっくり返ってト
スしたりしてました。するとスパイクを打ちなさいってことになっ
て、体力も残ってたのでかなりジャンプしてスパイクを打ちました。

そうしたらコーチは、私がスパイクを打ち始めてから、ずーっと横
で見てるんです。A、Bクイックもやって見せたり、フライングレ
シーブも誰にも負けない自信があったんですが、やってみました。
それでAクイック、Bクイック、どうやるのかよく見せてくれと言
うことで、デモンストレーション的に披露しました。このコーチは
アル・スケーツと言って、同じUCLAのアレンというバスケット
ボールの連勝記録を持ったコーチよりも凄い連勝記録を、バレーで
作った人です。結果的に私は、A、Bクイックそしてフライングレ
シーブをアメリカバレー界に最初に紹介した人になりました。

フライングレシーブも身体全体のバネを使って遠くへ跳んで、高い
ところから床に落ちても怪我しない。それを見て彼らはビックリし
たようです。もともと人に見せるのが好きな方だから、派手にやり
ました(笑)。それで練習が終わった時には「うちのチームでやら
ないか?」と誘われました。まだその時はたどたどしい英語でした
が、私は「勉強するためにアメリカに来たので、やっても週2回、
それしかしない。とにかくちょっと考えさせてくれ」と即答しませ
んでした。


◆オールアメリカン

ルームメートに相談してみると、アメリカ人は週2回しか練習しな
いよ、だから勉強にあまり負担はないと思う、ってことで、じゃあ
やってもいいな、と思いました。ルームメートはスカラシップ(奨
学金)をくれるか?あるいはイージーなジョブ、つまり楽なアルバ
イトでいい賃金をもらえる仕事を紹介してくれるか?というリクエ
ストも出してみたらいいとアドバイスしてくれた。そんなこと言っ
てみてもいいのかなと思いながらも訊いてみたら、スカラシップを
くれるという。それでまたバレーをやることになりました。でもそ
の時は可愛そうなことをしてしまったんです。私の代わりにスカラ
シップをもらえるはずだった誰かが、はずされてしまった筈ですか
ら……。

UCLA1年目はエースをやりました。全米大学選手権ではずっと
勝って行きましたが、チームのエース選手が準決勝で指を骨折して
しまい、最後サンタバーバラに負けて2位でした。この年は学生の
1stチームのオールアメリカンに選ばれました。

日本で3年間プレーしていたため、1年しかエレジビリティ(資格)
がなかった。それで1年しかできなくて、2年目はアシスタントコ
ーチをして、UCLAは優勝しました。自分ではチャートハウスとい
うレストランがスポンサーしているクラブチームでプレーしまし、
全米オープンで優勝しました。そしてベスト6=オールアメリカン
に選ばれました。

次の年、チャートハウスにはルーディー・スワラがいて、ラリー・
ランドルやゴッチ・メイという選手がいました。それで私もアメリ
カ国籍を取れ、と言われました。チャートハウスはアメリカバレー
協会の強化方針を受けて、翌年はオリンピックに出られる選手だけ
集めてチームを作ったので、国籍を取らなかった私ははずされまし
た。

他からも誘いがありましたが、この年はレベルの低いチームで遊び
でやりました。結局3年目は真剣にやらず、4年目には外国人排斥
に反対する選手が集まって、チームを作ったのでそこでプレーしま
した。残念ながら全米オープン2位。オールアメリカンには選ばれ
ました。


◆ビーチバレーをやった4年間

実際にビーチバレーをやったのもこの4年間です。最初の年の1月
から5月までのバレーシーズンが終わって、たしか5月に初めてビ
ーチバレーをしたんです。ヴェニスビーチにあるマッスルビーチの
横にコートがありました。今もあるんでしょうか?ホットドッグス
タンドとレモネード専門店がありました。そこで初めてビーチバレ
ーをやったので、よく覚えています。最初はスパイクがまったく打
てなかった。ジャンプしてもジャンプしてもタイミングが取りづら
かった。でもあるとき突然打てるようになったんです。

その頃からAAA(トリプルエー)、AA(ダブルエー)、A、B、
ノービス(初心者)というクラスがありましたが、UCLAでセッタ
ーの補欠で私の親友だったクレイ・トンプソン、身長は5フィート
10インチ(約178cm)の選手ですが、彼と組んで初めて大会に
出ました。AAの大会です。その最初の大会で決勝戦まで行きまし
た。そして次にもう一度AA大会に出て優勝。初優勝した場所は
ソレントビーチでした。

オープントーナメント(編集註:当時のアメリカビーチバレー界最
高峰大会=後のAVP大会に匹敵/71年12大会、72年13大会、
73年11大会)でベスト4に入るかAA大会で優勝するとAAA
へ上がれます。ですので私たちはAA2大会目でAAAへ上がった
のです。それからしばらくトンプソンと組んで大会に出ていました。


◆ハーモサビーチオープンで準優勝

そうするとサーブはぜんぶトンプソンのところへ行くんです。チー
ムとしてアンバランスになってきたので、私は違うパートナーと組
むことにしました。バズ・シュウォーツ(Buzz Swartz)という
選手です。バズと組んだハーモサビーチオープンでは準優勝しまし
た。マンハッタンビーチのトーナメントでは、ヴォン・ヘーガン(
編集註:ビーチバレー界のベーブ・ルースとも呼べるレジェンド中
のレジェンド=あのシンジン・スミスの憧れの選手)と初めて準決
勝で当たって、2-1で負けました。

 ※トシ・トヨダ Best 4 以内大会(P:パートナー)

   ★1971年7月3日-4日
    ハーモサビーチオープン2位(P=バズ・シュウォーツ)
    優勝:ロン・ヴォン・ヘーガン/ヘンリー・バーグマン
   ★1973年6月23日-24日
    コロナデルマールオープン3位(P=ルディー・スワラ)
    優勝:ラリー・ランドル/ヘンリー・バーグマン
   ★1973年7月14日-15日
    ラグーナビーチオープン3位(P=バズ・シュウォーツ)
    優勝:ルディー・スワラ/ジェイ・ハンセス
   ★1973年7月21日-22日
    コロナデルマールオープン3位(P=ラリー・ランドル)
    優勝:バズ・シュウォーツ/ボブ・ジャクソン
   ★1973年8月11日-12日
    マンハッタンビーチオープン4位(P=ロン・ラング)
    優勝:ロン・ヴォン・ヘーガン/マット・ゲージ


◆朝起きてビーチへ行く

先ほど話したクラブチーム・スポンサーのチャートハウスは、レド
ンドビーチにあって私はそこでアルバイトをやっていました。朝起
きると9時ぐらいからハーモサビーチへ行って、3時までプレー。
それからシャワーを浴びてチャートハウスへ行って働き、また翌朝
起きてビーチへ行く。夏は毎日ビーチバレーをしていました。ハー
モサビーチの海に向かってピアの右側のところの常設コートでプレ
ーしたんです。ビーチバレーは5〜8月にやって、9月からは学校
とインドアバレーでした。

何故ビーチバレー大会で優勝できなかったか?実はそのころ結構タ
バコを吸っていたんです。アメリカではアスリーツはタバコを吸わ
ない。私は日本でやっていた時から吸っていました。ヘビースモー
カーで1日20本くらい。シュウォーツと組むと私にサーブが来る。
毎回レシーブしてスパイクするから体力を使う。タバコの影響でそ
のうち疲れてくる。疲れてジャンプできなくなって来て、ジャンプ
しなければもともと身長がないからスパイクの威力がなくなってく
る。それが優勝できなかった原因かもしれないと思います。今はタ
バコは吸いません。もう辞めて15〜16年になります。

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豊田 俊明
とよだ としあき
1946年1月3日東京都台東区御徒町生まれ
身長170cm 体重63kg(選手時代)

プライスウォーターハウスクーパースLLPバンクーバー事務所 勤務
日経企業サービス統括責任者 カナダ勅許会計士、米国公認会計士

「子供は息子が28歳、あと娘が3人います。
 スポーツはゴルフは楽しみ、テニスは
 エクササイズがわりにやっています」