7.24 UPDATE ◆ワールドツアーの歩み・ほんのさわり

先日ご紹介した通りワールドツアーは87年に始まり(結果的に)
87年、88年はブラジルのリオデジャネイロでの1大会ずつのみ
(つまり「ツアー」と呼ぶにはふさわしくない状態で)
89年に初めてブラジルに加えて、イタリアと日本で開催された。
なので江の島で行われた大会はワールドツアー史上5番目の大会だった。

そして90年に4大会、
91年に6大会(この年の日本大会のみ横浜開催)、
92年に5大会(この年のスペイン大会で初めて女子大会が
男女同時開催という形で実施された)、
という形で5大会前後を推移したが
93年にまたブラジルと日本(江の島)のみという
ある種ピンチを迎える。

そして僕の記憶では
確かこの年にアトランタ五輪でのビーチバレー採用が決定し
それが引き金となってビーチバレーの開催国が増えていく。

94年は男子が7大会に増え、女子も4大会となって
日本(大阪・淡輪)でも初めて女子大会が開催され
以降、05年まで女子は日本で12年連続で開催される。

95年に男子大会は17を数えるが
日本での男子大会はこの年が最後となって
89年から続いた日本開催は7年で終わったが、
皮肉なことに翌96年のアトランタ五輪が大成功をおさめてからは
ワールドツアーは一気に安定化した。

95年の江の島大会では2位にシンジン・スミスが入り
(パートナーはヘンケルで、翌年アトランタ五輪でも組んで
 金メダルのキライ/ステフェスと大熱戦
 =個人的には同大会最高試合だったと思う=を演じ5位となった)
これが彼の現役最後の決勝戦となった。
表彰式でシンジンからカメラを渡され「写真を撮ってくれ」と
頼まれたなんてことも今回思い出した。
優勝はロペス/フランコ(ブラジル)で、このフランコは
今回のフランス大会準決勝の朝日/白鳥の相手
(トップ選手としての息の長さに驚かされる)。

朝日/白鳥の躍進によって
忘れていたそういう記憶を呼び戻される。
いろいろなことがつい昨日のことのように記憶が蘇る。
思えば87年からの20年間はあっと言う間の出来事である。


(UPDATE 3429 針谷 和昌)