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12.23 UPDATE ◆スタバとマンハッタンビーチ |
地方に行った時や人と待ち合わせして早く行き過ぎた時に 偶然なんだけどこの頃スターバックスに入る機会が多くて (と言うかそれだけスタバが全国津々浦々に浸透・進出してるということか) そう言えばあの頃は.....と、店内で思い出していたことを書いてみる。 今から10数年前、僕は機会がある毎にAVPを見に行っていた。 年に3回ぐらい行っていたんだろうか? 当時のAVPなのでアメリカ全土にまたがるツアーな訳だが AVPのオフィスなんかにも何度も足を運んだので 行く度の拠点はロスアンゼルスになる。 もっと言えば、親友、マイク・ドッドの家が拠点だった。 マイクとは91年に「ルーフトップビーチバレー」と題して 池袋西武の屋上に砂を敷いて、3週間ビーチバレーイベントをやった その最終週に来日してもらったのが、仲良くなるきっかけだった。 その当時の日本のトップチームと対戦してもらうために リストアップしたチームリストは次の通り。 シンジン・スミス/ランディ・ストクロス マイク・ドッド/ティム・ホヴランド アンドリュー・スミス/オーウェン・マッキビン 確か候補はもう1チームあったが、それがカーチ・キライ組だったか 当時AVP会長兼選手だったジョン・スティーブンソン組だったか 情けないことに忘れてしまった.....ペアも思い出せないが 確か4チームの中から2チームをというリクエストを AVPに出したんじゃないかと思う (こういう状態だと個人的だけどビーチバレー20年史、 早めに書いておいた方がいいかも、と我ながら心配.....)。 結局ドッド/ホヴランド、アンドリュー/オーウェンが来て 両チームが日本と対戦してそれぞれも米国対戦して1、2位になったのだが その時以来マイクとは密な付き合いが続いて今日に到る。 で、元に戻ってスターバックスなのだが、 90年代前半はまだ日本でスターバックスが入ってきたばっかりの時で それほど一般の認知度は高くなかった。 マイクはロスアンゼルスのエル・セグンドという街に住んでいて (ホヴランドもほんの数百メートル離れたところに住んでいた) 僕はアメリカを訪れる度にその家を拠点にさせてもらった。 マイクはいつも「ホテルドッドはハリヤを待っている」と メールしてくれていて、その言葉に甘えていた訳である。 で、マイクの家へ泊まると、朝彼が起こしに来て、 これから毎朝恒例のスターバックスに行くけど一緒に来る?と聞くのである。 もちろんそのまま寝ていて、適当な時間に起きて マイクの奥さんのこれまたプロビーチバリヤーである パティ・ドッドが作ってくれる朝食を食べるという選択肢もあるが、 どんなに眠くてもパッと起きて「行く行く!」とマイクの車に乗せてもらった (実はマイクよりも早く東京でパティと巡り会ったことが その後のマイクとの信頼関係の元になっているのだが それはまた機会があったら書いてみる)。 で、朝の8時過ぎぐらいに、マンハッタンビーチのピアがある手前の角の スターバックスに行く訳なのだが、その2階には当時マイクが借りていた マイクの仕事のオフィスがあって、先ずそこへ行ってマイクがメールをチェックして (マイクは現役のトップビーチバリヤーでいながら不動産関係の仕事もしていた、確か) それに返信するのを待ってから(これも今から思うとそうなのだが 当時は日本ではそれ程メールが生活習慣になっていなかった気がする) 1階のスターバックスに行くのである。 そうするとそこにはAVPのマーチャンダイジングをやってるマイクの弟 (確かマット・ドッドだったと思う、たまにお兄さんもいた)や、4〜5人の友達と共に ホリー・マクピークも来ていて、朝の雑談をしている。 僕はただその横に座って、みんなと一緒にいる空間を楽しんでいただけだ (僕の語学力ではなかなか会話に加われない)。 僕にとって最近スターバックスに行く度に必ず行きつくイメージ、 それがこんなイメージなのだが、なんで最近になって思い出すのよくかわからない。 ただ僕がまだアメリカに憧れていた頃の古き良き時代の西海岸ビーチライフが、 トップビーチバリヤーのクォリティ・オブ・ライフが そしてそのリアルな生活が、確実にそこにあったと思う。 (UPDATE 3285 針谷 和昌) |