1.26 YY山本ゆうじ@日系ブラジル人たちと鵠沼海岸PART2

日系ブラジル人たちと鵠沼海岸PART2


鵠沼海岸で”Mr.ポーキー”と言えばヤスさん、本名は
福山康夫シルビオ(以下、ヤス)日系3世だ。

ヤスはノブと同じ1970年、サンパウロ生まれ。ヤスの上に
は4人のお兄さんがいて小さい頃からバレーボールで楽し
んでいた。ノブ(河野信夫・マウリシオ)と同様に郊外の
オトゥロンガという場所に移ったヤスは、15歳で、街の選
抜クラブチームに選出され、大学1年までバレー漬けの毎
日を送った。

「クラブチームに選ばれることは凄い名誉でした。最初は
 レフトでがんばったんだけど、やがて皆に身長で抜かれ
 ちゃって(笑)、仕方なくセッターになったんだよ(笑)
 しかも、いつもチームは2位なんだ、悔しい思い出ばっ
 かりでほとんど試合なんて覚えてないんだ」(ヤス)

負けず嫌いのブラジル気質を象徴するエピソードである。
そんなこともありバレーに情熱を失いかけていたある日、
当時高校のバレー部の監督をしていた一つ違いの兄シゲオ
から「一緒に日本に行ってみないか?」という思いもかけ
ない誘いを受け20歳で来日した。

「一度日本は見たかったのと、バレーの力も試してみたか
った」(ヤス)就職先はノブと同じTOTOだった。すで
に日本での生活では先輩のノブのおかげで会社のバレー部
にもすんなり入れたヤスがビーチに顔を出すのは当然のこ
とだった。ちなみにノブが日本で最初のビーチの大会で準
優勝したときのペアが兄シゲオである。

「ノブに誘われてビーチ行ったら楽しかったよ。僕は背が
 小さいからすぐに自分だけの得意技を考えたんだ、それ
 がポーキーというわけさ」(ヤス)

ノブと同じ夜勤明けでも何のその、ただひたすらポーキー
の練習に明け暮れる毎日が続き1年目くらいから形になっ
てきたそうだ。

「ポーキーが決まったときは最高ね、あの高尾さんにも勝
 ったんですよ!!うれしくてうれしくて、もっと極めま
 すよ」(ヤス)

彼もまた日本でビーチに魅せられ日本永住を決めた。バレ
ーの本場から日本に来て、ビーチに魅せられ日本永住を決
めるノブとヤス。このビーチバレーという眩しいスポーツ
は、人間の人生をも変えてしまうほど、魅力に溢れている
のだ。ノブ&ヤスに乾杯!そして今年また一人森川という
若武者がビーチバレーに人生を転向した、、、。


(SPORT DJ 山本ゆうじ#7)