2.12 UPDATE ◆ダイキビーチバレー部縮小へ

「日本初ビーチバレー部 ダイキ縮小へ」
という小見出しが今朝の新聞に出ていて、
ダイキがビーチバレー部を縮小することが
11日の日本バレーボール協会理事会で報告された、
所属する佐伯美香、徳野涼子、楠原千秋の3人は
当面チームに残留する予定、とある。

「縮小」と打とうとすると
「祝勝」と文字変換で出て来てしまうのは
こっちの方がこれまでのダイキに相応しいから
なんて気がして何だがとても複雑な心境だが、
この記事からではどんな縮小かはわからない。

僕が理解している範囲で言えばダイキは
チームとして選手をリードして行く主体ではなくなり
可能な範囲で選手をサポートして行く協力者的な立場になる
ということだろうと思う。

アトランタ五輪後、佐伯美香がインドアを辞めてビーチへ転向し
徳野涼子が大学を卒業してそのままビーチの世界へ入って来た97年に
ダイキビーチバレーチームが誕生した。
佐伯、徳野、そして清家ちえの3人が創立メンバー。
98年から楠原千秋が加わり、さらにその後、マドンナカップ(高校女子選手権)
=この大会もダイキがメインの協賛者として創設以来サポート=
で活躍した2人の高卒新人が加わった。
佐伯と清家はシドニー五輪に、徳野と楠原は2人で組んでアテネ五輪に出場し
2回の五輪で計4人のオリンピアンを輩出する。

ダイキビーチバレーチームの8年を振り返ってみれば
常に日本女子ビーチバレーの根幹を担っていたと言っても過言ではない。
日本初の室内練習場を創り、チームに対するスポンサーを獲得し、
応援者たちのサポートクラブを創立・運営しながら、
常時日本女子のトップ2チームにはダイキメンバーを送り込んできた。
所属するすべての選手が愛媛県出身者である形態は
Jリーグが提唱する新たな日本のスポーツのかたちに合致して
地域密着型のスポーツの先頭を走っていたと言える。

ビーチバレーという競技の特性上、ダイキのチームメンバーも
オンシーズンには海外各国のビーチをそして日本各地のビーチを転戦し、
オフシーズンも暖かい場所やビーチバレー先進国で合宿を重ねて来た。
それが出来てきたのはダイキのバックアップがあったからこそでもあるのだが、
それがダイキが目指す地域密着と相入れない部分を広げて来たのだとしたら
その自己矛盾した部分を今後どうして行くかが
ビーチバレー界全体にとっての大きな宿題となるのではないだろうか。

ビーチバレーに転向してからの佐伯そして
大学卒業後直接ビーチバレーの世界に入って育って来た徳野と楠原は
言わばビーチバレーのエリートコースをここまで歩んで来たと言える。
これまでのエリートとしての経験を財産として
新たな環境のもとどこまで夢に向かって突き進むことができるか?
彼女達に求められた課題はビーチバレー界全体の今後の大きなテーマでもあると思う。

(UPDATE 2777 針谷 和昌)