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SPECIAL INTERVIEW★Toshi Toyoda #5 ビーチボールと言っていた |
トシ・トヨダさんへの4回にわたる スペシャルインタビューの掲載は お陰さまで好評でした。 そして自分自身 インタビューし終わった時には 「よし、これですべてお聞きした」 と思っていたんですが まとめているうちに 「あれも聞きたいこれも聞きたい」 となって 追加でe-mailにて質問事項をお送りしました。 お忙しい中、豊田さんから返信を頂いたので その内容をすべてご紹介します。 ちなみに上のイラストは 当時のモノクロ写真をもとに 勝手に想像して色付きの絵にしてみました。 豊田さんにこれで良いかお聞きしたら 「裸やビキニの水着で無い限り問題はありません」 とのことでした(笑)。 Q1.当時の試合は1セットマッチ15点ですか? A1.確か1セット11点で3セットマッチだったと思います。 敗者復活戦は1セットだけで15点マッチでした。 Q2.何日間の大会でしたか? A2.土曜と日曜の2日間です。 Q3.ダブルエリミネーションですか? A3.敗者復活戦がありました。 Q4.ドリブルは厳しかったんですか? A4.トスのドリブルは大変厳しかったのですが、 レシーブの場合は膝から上であればドリブルはOKでした。 ボン・ヘーガンは良くオーバーハンドで ボールを止めるようなレシーブをしていました。 インドアでのレシーブのテクニックから見ると 取れても殆どドリブルになるものでした。 私の場合は反対にインドアからビーチバレーに入ったので、 この点で調整に苦労しました。 Q5.ブロックは必ずついていたんですか? A5.ブロックはありましたが、ネットを越える事は出来ませんでした。 インドア出身の選手はブロックを多用していましたが ビーチ専門の選手は殆どブロックは使っていませんでした。 Q6.大会運営は誰がやっていたんですか? A6.大会運営はそのビーチを管轄する市のレクリエーション担当が やっていたと思いますが、100%確実ではありません。 Q7.お客さんはビーチにぶらりとやって来た客ですか? ビーチバレーファンですか? A7.観客はビーチバレーのファンで 大会のあるビーチの地域からの人が殆どでしたが、 大きな大会には離れた所からも来ていたと思います。 観客のレベルは高かったと思います。 Q8.豊田さんが得意なプレーは何でしたか? A8.私の得意なプレーはやはりレシーブだったと思います。 特にダイビングしてレシーブするフライイングレシーブは インドアだけでなくビーチでも他に誰もやっていなかったので、 人気があったようです。 しかしビーチでは汗で砂だらけになり後が大変でした。 Q9.ヘーガンはやはり強かったのですか? A9.ボン・ヘーガンは非常に強くどのパートナーと組んでも 常に優勝を争う結果を出していました。 但し、プレーは野暮ったく 鮮麗さとかバレーセンスには欠けていましたが、 ミスが少なくプレーが非常に確実でした。 対戦した時もボン・ヘーガンでなくスパイク力では上のパートナーに サーブをする戦法を取った事もあります。 Q10.当時のプレーヤーで思い出に残る選手やプレーは? A10.特に印象の深かった選手にはボン・ヘーガンや ラリー・ランドルのパートナーだったヘンリー・バーグマンや ラリー・ランドルです。 Q11.当時ビーチバレーのことを何か特別な言葉(略語とか)で 呼んでいた、なんてことはないですか? A11.確かビーチボールと言っていたと記憶しています。 ※以上、E-MAIL INTERVIEW & ILLUSTRATION : 針谷 和昌 |